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襖のWEB辞典

この『襖のWEB辞典』は、東京内装材料協同組合が、平成2年12月に創立70周年記念事業として企画・発行した『襖考』の記事の一部を、WEB用に編集したものです。

ふすまのことあれこれ
 襖の歴史
 襖の紙
 襖紙の模様
 襖紙の素材による種類
 襖の縁
 襖の引き手

ふすまの実務知識(図説集)
 尺貫法とメートル法
 「襖」の文字の由来
 襖のはめ込み方図説
 襖のいろいろな呼び方
 内部構造による襖の種類
 和襖の下地骨
 襖紙の貼り方





「紙は心で漉く」といわれます。この“漉く"という本当の意昧は、水をこすということだそうです。日本人は紙をつくるという単なるひとつの動作の中に、非常にこまやかな意味をこめて“紙を漉く"といっています。

この紙を漉くという作業が、1400年もの長い間、いや、おそらくそれ以上の長い歴史を経ながら日本という風土の中で伝えられてきたのです。

白鳳時代末期、702年の美濃、筑前、豊前の三国の戸籍簿の一部が現在でも正倉院に残っています。今日、日本各地で漉かれているような和紙の特質をすでに持っていて、当時の技術の高さを偲ばせてくれます。しかし何よりも驚かされるのは、その耐久力であり、強い生命力です。この日本最古の紙は、麻や絹などの布が風化してしまったにもかかわらず、1300年という長い年月を経て、なお「当時のままの光沢を放っていた」といいます。1960年、正倉院文書調査に参加した紙漉きの人間国宝・安部栄四郎氏の話です。

白鳳文化が、天平文化が、栄えた時代は仏教美術が花開いた時代でもありました。

仏教が盛んになるにつれて、写経も黄金時代を迎えることになります。当時の紙の需要は、公文書や写経用がほとんどでしたが、正倉院文書には、播磨産の紙が、衝立、襖障子のようなものに使われた記録も見られます。この頃から、紙が建築素材の一部として、使われ始めたようです。 平安時代には朝廷、官庁、貴族用の紙を漉かせる所として、京都・嵯峨の野宮に紙屋院が設けられました。官営の紙工場です。この時代の紙屋院では、高度な技術に加えて、さまざまな工夫が凝らされ、打雲、墨流しを始め、現代では漉くことのできない羅文紙など、数多くの装飾紙が創りだされました。

鎌倉時代になると紙屋院は国の庇護がなくなり、京都は紙漉きの町から、紙加工の町へと変わってゆきます。それと共に中央にかわり、地方での紙の生産が盛んになってゆきます。この当時に生まれた紙が、その土地土地に伝わる伝統的技法として漉き継がれ、今日では、日本を代表する紙となっています。杉原紙、奉書紙、鳥の子紙、吉野紙、美濃紙などです。

なかでも、特に雁皮を原料とし、虫害がなく、保存力が抜群によい鳥の子は、永久的な保存用書類によく用いられました。また、その紙肌のなめらかさと、書きやすさから「紙の王様」として珍重されてきたのです。この鳥の子紙の名前の由来は、現在では雁皮紙の未晒し色が鳥の卵のような淡黄色をしていることからつけられたといわれています。鳥の子の代表的産地は、越前と摂津でした。

越前の鳥の子は、素材はもちろんのこと、技術的にも薄様、中様などの厚さの面で、打雲・水玉・漉き模様など装飾面で、すぐれたものが、たくさんありました。

人類の長い歴史の中でも、特に日本人は風土を大切にし、自然との調和をはかり、生活を営んできました。そこに暮らす自分たちも、また自然の一部であるという思いがあったからこそ、自然の素材を用い、厳しい自然条件の中で、連綿として手漉きの技術を現在に伝えてきたのでしょう。それらを求める人々もまた日本の文化としての 価値を「紙漉き」に見い出してきたのです。